柔道整復師の今昔

柔道整復師の今昔

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[ 引用文献 ]
全国柔整学校協会 教科書専門委員会編: 柔道整復術および柔道整復師の沿革、柔道整復理論、1997
(1) 医療の起源と発展
(2) 柔道整復の基本概念の成立
(3) 海外との交流
(4) 江戸時代前期
(5) 江戸時代接骨術への影響
(6) 明治時代
(7) 柔道整復術の公認(大正9(1920)年)
(8) 戦後
(9) 柔道整復術師法の成立(昭和45(1970)年)
(10) 指導要領の制定
(11) 国家試験への移行



(1) 医療の起源と発展
 人類社会の起源と同時におこった狩猟や闘争その他による外傷や創傷の手当は、本能的治療の段階から、経験の蓄積による治療法の固定化、さらには人智の発達に伴う呪術的医療、宗教的医療の段階を経て、その後長い時間をかけ現在の実証的医療へと発展してきた。医療技術も、一般文明の発生と同様、世界四大文明発祥の地といわれるエジプト、メソポタミア、インド、中国で起こった。

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(2) 柔道整復の基本概念の成立

 有史以前の日本民族の伝統と精神は、太古の時代より「武」を中核精神として形成されたといわれ、この「武」を中心とする精神は、それ以降の歴史の中にも伝統として引き継がれたといわれている。
 一方、この「武道」とともに、「文」の道すなわち信仰、宗教、科学もその時代に応じて追求され、発展してきた。
 戦国時代の武道の書物には「殺法」、「活法」に関する記述があるが、殺法は武技そのもので、柔術でいうところの、当身技、投技、絞技、関節技、固技はすべて殺法に属する。活法は、傷ついた者の治療法、手当てであり、骨折、脱臼、打撲、捻挫などの外傷を治すもので、出血、仮死者に対する蘇生法なども含まれている。この殺法と活法は、「文武」の道として表裏一体となって進歩発展し、殺法は武術の殺戮手段として用いられてきたが、時代の変遷とともに、その一部は保健と精神修養の手段として、その技を競技や運動として楽しむスポーツの中に組み入られながら現在行われている。一方、活法は医療の一部として柔道整復術へとそれぞれ発展して今日にいたっている。

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(3) 海外との交流

 わが国の医療は、古来、経験によるもの、呪術によるものなどが伝統的、民族的医療として民間に普及していたが、体系的なものではなかった。仏教伝来以後、諸外国すなわち中国や朝鮮あるいはシルクロードを通じての中近東などとの交流によって医療技術を吸収するようになった。とくに中国との関係では、遣唐使の一行に医学留学生も加えるなど、国家事業として積極的に医療技術の導入に努めた。 その後も、諸外国とくに中国の影響は大きく、随・唐の医書200点から百余家の説を集録した「医心方」(丹波康頼、984年、現存するわが国最古の医書といわれる)などをみるとその影響は明らかである。ちなみに、「医心方」の第18巻は、脱臼、骨折、打撲、創傷などについて記載されています。
 日本古来の「接骨の業」は、伝統的な「文武」の道を通じて伝承され、また海外からの技術の導入もあり、「文武」の伝統の上に外国文化を織りなして、「柔道整復」としての基本概念ができたといえよう。

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(4) 江戸時代前期

 17世紀初頭、柳生石舟斎宗巌の門弟で「良移心当流柔術」の開祖であった福野正勝が、陳元ピンから中国小林寺拳法を伝授された。
 拳法に由来する柔術の技には「制剛流柔術の骨砕き」の秘法、紀州藩に伝わった「剛身」の秘法などがあり、「源成章流」の活殺術(活法と当身)など以後の秘伝書の図解の中の人物は、服装、髪形ともに中国風で、急所の名称は中国医学の経穴名によるものが多くみられる。
 筑後柳河藩や肥後熊本藩を中心に九州一円で盛んであった扱心流柔術(扱心流)の伝書には、活法(当身)は医道摩療(正骨術)であると書かれている。

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(5) 江戸時代接骨術への影響

 16世紀中頃には南蛮(スペイン、ポルトガル)流の医学が伝わり、それ以降19世紀にかけ、オランダ医学を中心としてイギリス、ドイツ、フランスなどの科学、医学が細々ながら導入された。この中でも、近代外科学の糸口を開いたといわれるフランスのアンブロワズ・パレ(Ambroise Pare 1510〜1590年)の優れた外科学が伝えられ、わが国の接骨術に大きな影響を与えた。
 その後、杉田玄白、前野良沢ら(「解体新書」1774年)による人体機能、解剖学の紹介・研究、また賀川玄悦による助産学(「産論」、1776年)、華岡青洲による全身麻酔薬を用いての手術など、多数の研究家により、外科学などの研究も盛んに行われた。
 東西の医学にわが国独自の研究成果を加え、接骨術はより工夫考案されていった。柔道整復術の体系化に寄与した代表的な人物としては、以下の人物があげられる。
 三浦流柔術の祖 三浦楊心は、医師でありながら整骨術を研究し、武人 吉原元棟は拳法と按摩術により『正骨要訣』を著し、外科の一派として接骨科をおこし、小児科医 秋山四郎兵衛義時は楊心流柔術の祖となり、接骨術を編み出した。続いて、二宮彦可、各務文献が中国医学を取り入れ、接骨学発展に貢献し、華岡青洲は伝統の接骨法に蘭法の長所を加え、より接骨術を特徴あるものとした。このほか高志凰翼、名倉直賢らにより、江戸時代末期には、わが国の外科、接骨術は体系化されてきた。

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(6) 明治時代

 明治維新後、西洋を万能とする医療制度改革が行われ、明治7(1874)年の「医制」の制定、明治14(1881)年の漢方医学の廃止に伴って接骨術はほとんど顧みられなくなった。法律的には、明治18(1885)年の内務省通達「入歯、歯抜、口中療治、接骨営業者取締法」によって、既得権者も医術開業試験を受けることになったため、接骨業者は激減し、接骨業はほとんど絶滅状態となった。
 その後、明治45(1912)年、柔道家による接骨業公認運動が開始された。大正2(1913)年には、各流派の柔術家が「柔道接骨術公認期成会」を結成し、復活運動を繰り返した。これらの運動により、大正9(1920)年、内務省令により「あんま術営業取締規則」を準用するという形ではあるが、「柔道整復術」という名称で公認され、同年、第1回の資格試験が施行された。

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(7) 柔道整復術の公認(大正9(1920)年)

 公認された当時の資格は、「医師または柔道整復師のもとで、柔道の教授をなす者であって、4年以上臨床実習をした者」に受験資格が与えられ、都道府県知事の開業試験を受けてその鑑札を受領した。法的には、「あんま術営業取締規則」の一部が改正され、その第五条の2を「営業者(あんま)は脱臼又は骨折の患部に施術をなすことを得ず、但し医師の同意を得たる病者に就いてはこの限りにあらず」とし、その付則に「柔道の教授を為す者に於いて打撲、捻挫、脱臼及び骨折に対して行う柔道整復術について本則の規定を準用す」となった。法的基盤はできたとはいえ、「あんま術営業取締規則」の付則としてであり、その基盤ははなはだ弱いものであった。
 法的整備の面では不十分であったが、柔道整復術が公認されたことにより、ここに近代柔道整復術が誕生したといえよう。その基本は、柔道と接骨であるが、この接骨は、東洋医学よりも近代西洋医学を取り入れた医学の一部として発展することになった。

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(8) 戦後

 第2次大戦後、昭和21(1946)年に厚生省令第47号によって「柔道整復術営業取締規則」となったが、法内容に変更はなかった。この規則が新憲法で失効し、新たに昭和22(1947)年12月に「あんま、はり灸柔道整復等営業法」となり、この法律では免許資格における柔道の必要性はやや後退しました。現在の柔道整復術法はこの法律が原点となっている。
 その後、昭和26(1951)年9月の文部厚生共同省令により、柔道整復師、はり師、灸師は、養成学校を卒業して資格試験を受けることになった。学校養成施設による柔道整復師の養成が始められ、学校教育による免許制度が制定された。しかし業務範囲は、大正9年当時のままであった。

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(9) 柔道整復師法の成立(昭和45(1970)年)

 昭和45(1970)年、法律19号によって、従来の「あんま、はり灸柔道整復師法」(法217号)から「柔道整復師法」として単独法となった。しかし、内容的には、一部罰則等に変更はあったものの、法217号から単純に柔道整復師を分離したのみであった。業務内容の法的規制は、大正9(1920)年当時のものがそのままとなっているが、柔道家のための柔道整復術という面はだいぶ後退し、従来、学校に入学しようとする者に求められていた「柔道の相当の実力」は、「柔道の素養」となった。

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(10) 指導要領の制定

昭和51(1976)年に、あんまマッサージ指圧師およびはり師灸師ならびに柔道整復師について指導要領が定められ(昭和56年(1981年)に柔道整復師単独に分離)、教育内容が整備され、柔道整復師の業務内容の解釈も飛躍的に向上した。指導要領には、(1)教科時間の合理的整理、(2)柔道整復師の扱う内容は、骨折、脱臼、捻挫および、筋腱等の軟部損傷等とし、(3)柔道整復術としては整復、固定、後療法とし、後療法は手技、運動、物理療法とされている。
 この指導要領によって、これまで教育科目の時間のみ示されていたものが、教育内容を十分に整備することができるようになり、今後これを拠り所として、将来に向かって進むことができ、また、柔道整復師になった者も、その業務内容に指針を与えられることになった。

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(11) 国家試験への移行

厚生大臣免許
平成元年(1989)年、柔道整復師の資質の向上と教育内容の充実を図る目的で、「柔道整復師法」が40有余年ぶりに大改正された。
改正の要点は下記のとおりである。

1、他の医療関係職種との均衡化
 カリキュラム、教室の面積、専任教員の数、時間数の増加、標本などに及び、多岐にわたるものである。
2、基礎科目の必修化
 人文科学、社会科学、自然科学について社会人としての情操の高揚、見識を深めること、および他の教科を学ぶうえで必要な基礎知識の熟知を目標に必修化が図られ、また外国語(1カ国語以上)についても同様の趣旨で改正が図られた。
3、専門基礎科目
 運動学の新設をはじめ、従来よりの科目を整理分類し、一般臨床医学、外科学概論、整形外科学、リハビリテーション医学などに細分化された。
4、改正に伴う課せられた課題
 旧カリキュラムに比べ、時間数の増加および基礎科目の必修化や新科目の登場で履修内容が多岐にわたることとなった。
 国家資格となったことで、資格、身分のうえで確固たる保証がされたことになるが、社会の負託に応えるために今まで以上に責任と義務が課せられることとなった。柔道整復師になろうとする学生諸君は法改正の趣旨を十分認識し人格の陶冶に努め、医学知識の吸収に最大限の努力を傾注し、先達の残された大いなる財産をさらに発展させるように自己研鑽に励み、卒後の研修に努める必要がある。
 

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