柔道整復師が外傷性肩関節疾患を扱う際はもちろんのこと、医師の依頼のもと非外傷性肩関節疾患を扱う際、最も苦慮するのは正確な病態の把握であろう。肩関節は他の関節にくらべ解剖学的組織構成が複雑で、バイオメカニクスも複雑である。整形外科領域においても五十肩の正確な病態は特定されておらず、肩関節周囲炎という包括的な用語が使用されている。
肩関節周囲炎という用語自体、五十肩と同義語として用いられることもあれば、肩関節周囲炎というカテゴリーに五十肩を含むといった分類名として使用されることもあり、いまだ曖昧な疾患である。
最近(1990年以降)は関節鏡の進歩により病理組織の採取が可能となり、少しずつではあるが組織学的研究もすすめられている。画像診断の進歩もあり、様々な観点から研究が進んでいるようである。
今回はいわゆる五十肩に焦点をあて、最近の論文を参考にその病態像に迫りたいと思う。また、国内・海外においてこの疾患がどのように捕らえられてきたか、歴史を振り返ることで少しでも理解を深めていただければと思う。
(治療・リハビリについては今後記載予定)
(関節包・靭帯・腱板疎部 20))
肩の関節包は骨頭の約2倍の大きさを持ち、網目状の走行をした何層にもなるコラーゲン線維でできており、内部滑膜は絨毛構造となっている。
関節上腕靭帯は関節包の内部で関節包に癒着、または関節包が肥厚しているように存在し、関節包靭帯とも言われ、独立した構造物ではないことが多い。関節鏡などで内部から関節包を緊張させる操作で、その走行を明確にすることが可能である。
上・中・下関節上腕靭帯が前方関節包を補強し、上関節上腕靭帯は二頭筋長頭腱起始部前方の関節窩上結節に起始し、烏口上腕靭帯と融合して小結節に停止する。下関節上腕靭帯は幅広い構造を持ち、前方線維と後方線維を持つ。上と中関節上腕靭帯との間隙を Weitbrecht 孔と呼ぶ(図1: 肩甲上腕関節の解剖図)。
腱板疎部(rotator interval)は、棘上筋と肩甲下筋との間の薄い膜様構造をいい、下に上腕二頭筋長頭腱、上に烏口上腕靭帯が存在する。
烏口上腕靭帯は烏口突起から腱板疎部を通り大結節及び小結節に付着する。付着部は棘上筋を取り囲むように付着し、腱板と関節包の間にまで線維を伸展させ、棘上筋前縁と滑液包面を補強している 13)。
このように腱板は単一の腱組織ではなく、5層に分れ、複雑に腱線維、関節包、靭帯が重なり合って作られた組織である(図2: 腱板断面図)。
また、上腕二頭筋長頭腱の下の結節間溝では、棘上筋と肩甲下筋の線維が結合していると報告されている(図3: 結節間溝での線維結合)。(滑液包 22))
滑液包の内腔は少量の滑液(透明・アルカリ性)を含み、内壁は滑膜で、2〜3層の滑膜細胞からなる。この滑膜を線維性結合組織が包んでいる。
滑液包炎が起こると滑液の増加と浮腫、フィブリンの析出、血管増生が生じ、慢性化すると滑液包壁は線維化して肥厚する。
広義の肩峰下滑液包は人体最大の容量を持ち、肩峰下滑液包、三角筋下滑液包、烏口下滑液包の三部分からなる(図4: 肩関節周囲の滑液包)。
一般に肩峰下滑液包と三角筋下滑液包は70%交通し、肩峰下滑液包と烏口下滑液包は10%交通するとされている。
肩峰下滑液包(subacromial bursa)の上面の一部は、三角筋下面の筋膜、肩峰下面、烏口肩峰靭帯、肩鎖関節下面の関節包と一体になっている。肩峰下滑液包の下面の一部は、腱板表層に密着し一体となっている。
肩関節外転挙上時(三角筋および腱板収縮時)には、肩峰下滑液包はその包の形のまま肩峰下を移動するのではなく、肩峰下滑液包の上面と下面の線維性結合部を中心にキャタピラを転がすように滑動し、肩峰下滑液包の前面と後面は三角筋の前と後方の線維によって肩峰下に折り畳まれる様に引き込まれる。
肩峰下滑液包の肥厚や内腔縮小などの障害は、当然のことながら可動域低下と密接に関係し、弾発肩の弾発音やインピンジメントなどの原因となる。
1800年前後から1980年代まで、国内において五十肩の考え方・五十肩の主因について論じられた報告を紹介する。五十肩:
五十肩という疾患名がいつから使われたかは不明であるが、1800年前後、漢学者の大田方(現在では太田全斎)が編集した俗語集「俚言集覧」の中に五十腕・五十肩という言葉が使われている 4, 5)。長命病とも記載され、当時の平均寿命が30〜40歳の時ですので、まさに長命病であったといえる。痃癖(けんぺき):
日本において取得可能な五十肩に関連する最も古い文献は、1886年に瀬川が痃癖(けんぺき)について記載したものが挙げられる 4)。痃癖は古来肩から背部にかけての張り、痛み、はやうち肩(急性症)を言ったもので、運動障害はなく、肩凝りの延長上にある疾患のようである。神中の肩甲関節周囲炎:
1937年に神中は「背痛と肩痛に関する臨床一夕話」の中で、五十肩の病態の大半は棘上筋腱の変化であると述べ 4)、1940年、著書「神中整形外科学」の中で、「五十肩は肩甲関節周囲炎という表現が正しいのですが、病理解剖学研究がいまだ不十分で十分に解明されていない疾患であるので、しばらく五十肩という通俗的病名によって記載する」と述べている 1, 2)。
1941年、神中の門下生である原は 104肩の剖検を行い、神中の考えを実証した。肉眼的所見では肩峰下滑液包の包壁の損傷と癒着を最も多く認め、組織学的所見では棘上筋腱に石灰沈着、胞状細胞の出現、線維断裂など、退行性変化を思わせる所見を認め、五十肩は棘上筋腱の年齢的変化を主因として発症すると述べている 4)。三木の疼痛性肩関節制動症:
1940年に三木は雑誌「臨床医学」に載った「所謂、五十肩に就いて」から、1962年に雑誌「整形外科」に書かれた「五十肩」まで、長期にわたり五十肩の臨床研究を続けた 4)。
1947年には「五十肩」という本を出版している。三木は五十肩について、「五十」とは初老期という年齢的要素、「肩」は疼痛性運動障害を意味しているとして、「明らかな起因を証明しにくい特発性の初老期の疼痛性肩関節制動症」と定義した 3)。病態については、神中と同様に棘上筋腱の病変が五十肩の主病態であると述べている 4)。
その後1962年、三木は外傷説を提唱しており、その内容は「変性している腱板は、軽度の外傷で損傷を受けやすく、また解剖学的にも外傷にさらされる機会は多い。そのような小外傷により腱板の部分断裂、出血、壊死が表層にある肩峰下滑液包の炎症を引き起こして発症する」と述べている 4)。渡辺の三角筋と腱板の imbalance:
1961年に渡辺は、DePalma の説を引用し、五十肩の発生原因を三角筋と腱板の imbalance に求めた。退行変性して薄弱となった腱板が骨頭を関節窩に固定する力に欠けてくると、三角筋との間に imbalance が生じると述べている 4)。しかし、impingement が生じて腱炎が生じることについては言及されていない。信原の疼痛性肩関節制動症:
1978年、信原は痛みのある動きにくい肩全体を肩関節周囲炎として捉え、五十肩は疼痛性肩関節制動症として拘縮のあるものに限局した 5, 6)。運動制限が単に疼痛によるもので、拘縮が少なく腱板に起因するものは腱板炎と定義している 5, 6)。(信原の肩関節周囲炎の分類と頻度 5))
1)烏口突起炎(5%)
2)上腕二頭筋腱炎(12%)
3)肩峰下滑液包炎(2%)
4)変性性腱板炎(外傷性腱板炎・腱板不全断裂)(41%)
5)石灰沈着性腱板炎(4%)
6)臼蓋上腕靭帯障害(不安定肩関節症)(3%)
7)いわゆる「五十肩」(疼痛性関節制動症)(25%)
8)肩関節拘縮(外傷後など)(8%)その後、1982年に信原は loose shoulder の研究から、rotator interval に起因する疾患群を rotator interval lesion(後に腱板疎部損傷と翻訳)と命名し、不安定症侯群と拘縮群の2つに分け、その中の拘縮群を肩関節周囲炎の一部に含めた 6)。
1987年の信原の報告では、疼痛性関節制動症の症状として、圧痛は烏口突起や結節間溝などの前方に存在するが、拘縮のため次第に後方の四辺形間隙に痛みを訴えるようになると述べ、可動域制限は腱板(腱板疎部)の変性に伴う肩峰下滑液包炎や腱板炎により外転制限が発生し、のちに烏口上腕靭帯に炎症が波及して拘縮による外旋制限が発生し、最終的に関節包自体の縮小・拘縮へ進むことを指摘している 6)。
関節内圧の測定では、挙上時の圧の異常上昇、下降しても高圧が持続、joint distension(Weitbrecht 孔の開通と肩甲下滑液包の癒着剥離)による圧の低下にて疼痛が軽減することなどから、関節内圧上昇と疼痛の関連を述べている 6, 18)。
1989年に尾崎らは、手術所見より烏口上腕靭帯と腱板疎部の線維化とフィブリノイド変性による拘縮・瘢痕化を認め、腱板の変性に伴った腱板疎部の病変が初発病巣である可能性が高いと報告し 6, 10)、信原の考えを支持している。
1800年代後半から1980年代まで、海外において日本でいう「五十肩」に相当する疾患についての報告を紹介する。Duplay の肩関節周囲炎(症候的なものの代表例):
海外においては、1872年フランスの外科医 Duplay が、外傷後に生じた肩峰下滑液包の炎症、癒着による肩関節の疼痛と挙上障害を scapulohumeral periarthritis(肩関節周囲炎)と呼んだことが、五十肩の病態、病因解明の歴史の始まりであると言われている 1, 4)。
当初は外傷後のみと記載していたが、後に誘因なく発生するものもあると変更した。偉大な業績をたたえられ、maladie de Duplay(Duplay 病)とも呼ばれた 5)。この肩関節周囲炎の中には、現在における腱板炎、腱板断裂、石灰化腱炎、上腕二頭筋長頭腱炎、肩鎖関節炎などが含まれていた 7)。Baer, Painter の石灰沈着症(石灰沈着が病態の中心):
Duplay の報告後、20世紀に入ってX線検査が導入され、石灰沈着症が注目を浴びた。1907年 Baer と Painter がほぼ同時に報告し、これが本症の病態であるとされたが、石灰沈着を認めるものはごく一部であり主流とはならなかった 4, 5)。Codman の frozen shoulder(滑液包が病態の中心):
1906年、ハーバード大学の整形外科医 Codman は、Duplay の提唱した scapulohumeral periarthritis を 英語で Stiff and painful shoulder と命名した 4, 5, 7)。
その後、1934年 Codman は、著書「The Shoulder」において、frozen shoulder と命名し、現在においても広く使用されている。その著書の中で、frozen shoulder の病態を説明することは難しいが、主な病態は腱板の腱炎に基づく肩峰下滑液包炎であると述べ、 adhesive subacromial bursitis(癒着性肩峰下滑液包炎)を終末像と考えた 4, 5)。
Codman の没後、1941年、Bosworth は腱板に起因する疾患を supraspinatus syndrome(棘上筋症候群)として総括し、その中で frozen shoulder を obliterating subacromial bursitis(閉塞性肩峰下滑液包炎)と呼んで Codman の説を支持している 5)。Meyer, Pasteur の上腕二頭筋長頭腱炎(長頭腱が病態の中心):
上腕二頭筋長頭腱にはじめに着目したのはフランスの Bera(1910年)と言われているが 4)、フランス語で書かれていたため、内容に関して詳細があまり知られていない。
1921年にスタンフォード大学の解剖学者 Meyer は肩関節の解剖所見から上腕二頭筋長頭腱の fraying(摩耗)、Shredding(すり切れ)、fasciculations(線維束性攣縮)、tearing(裂ける) を認め、上腕二頭筋長頭腱脱臼および断裂が少なからず認められることを指摘した。またこれらの原因として、結節間溝の骨変化、骨頭軟骨と小結節の長頭腱との接触を指摘している 4, 5)。
Meyer の上腕二頭筋長頭腱に対する基礎的な研究の後を受けて、1932年、Pasteur は、上腕二頭筋長頭腱炎(腱鞘炎)なる新しい概念を発表し、frozen shoulder の病態であると報告した 5)。
1943年に Lippmann は上腕二頭筋長頭腱炎に対して初めて手術を行い、詳細な病態を報告した。12例の手術所見で、腱の粗造化と腱鞘の肥厚と癒着を認め、癒着性腱鞘炎が frozen shoulder の病態であるとした。
その後、Hitchcock(1948年)、DePalma など多くの研究者達が上腕二頭筋長頭腱説に追随している 4)。
1950年、DePalma は著書「Surgery of the Shoulder」の初版においては、上腕二頭筋長頭腱炎が frozen shoulder の主病態であると述べ、終末像においては烏口上腕靭帯の肥厚・短縮が、外旋・外転障害を起こしていることを指摘した 4, 5)。1983年の第3版では、上腕二頭筋長頭腱炎、肩鎖関節症、腱板炎によって引き起こされる pain、dependency(依存)、muscular inactivity(筋の不活化) が frozen shoulder の原因であって、上腕二頭筋長頭腱炎、肩鎖関節症、腱板炎そのものは原因ではないと述べ、上腕二頭筋長頭腱炎説のトーンを落としている 4)。Neviaser の癒着性関節包炎(関節包が病態の中心):
肩関節関節包にはじめて病態を求めたのは、Klapp(1916年)と Riedel(1916年)であり、関節包の縮小によるものと考えた 4, 5)。
Neviaser(1945年)は、挙上の際に必要な下関節包の弛緩が frozen shoulder において減少している事を指摘し、10例の手術例と63肩の剖検例の検討から、滑膜細胞の変化を伴わない関節包の肥厚と癒着が主病態であると述べ、adhesive capsulitis(癒着性関節包炎)を提唱した 1, 6)。
Lundberg は1969年、組織学的観察から、滑膜には炎症性細胞浸潤が認められず、関節包の線維化・線維増殖が見られたことから、病態は滑膜細胞になく関節包にあると報告した 2, 6, 7)。しかし、その翌年1970年の報告では、関節包のコラーゲン密度の増加、ヘキソサミン増加に伴ったグリコサミノグリカン増加などの所見から、関節包の変化は線維化への過程であり、原因そのものでない可能性が高いと報告している 6, 7)。
Neviaser の提唱した adhesive capsulitis(癒着性関節包炎)の所見の有無については議論が多いが、現在の鏡視所見では関節内に癒着はないとの見解で一致している 2, 7, 11, 12)。
解説 21):
グリコサミノグリカンの化学構造はウロン酸(或いはガラクトース)とヘキソサミンからなる基本の二糖構造が通常40〜100回繰り返してできる硫酸化された多糖体である。コラーゲン線維(あるいは細線維)やエラスチン線維の隙間を、これら多糖体が埋めている。多糖体は多くの場合、タンパク質(core protein)を芯として複合体を作っている。そして細胞外組織(ECM) でプロテオグリカンという巨大分子を構成する。エラスチン線維は主に疎水性アミノ酸で構成され、それ自身がリコイル作用を示すことで弾力性を与えるが、グリコサミノグリカンはマイナス荷電が豊富な分子構造であり、そこに水分子を抱え込む性質を持つことで細胞外組織に可逆的弾力性を与えているとされている。グリコサミノグリカンの生理学的特性の解明には、糖を選択的に切る酵素の開発を待たなければならなかったが、近年、その酵素が開発され急速に研究が進んでいる。いまではグリコサミノグリカンが細胞膜上のある種の増殖因子と結合することも解ってきた。腱板変性を病態の中心とする報告:
これまで腱板断裂や腱板炎を起因とする報告は数多く存在したが、1944年に McLaughlin は、腱板の加齢変化と滑液包床の変性が frozen shoulder の原因とはじめて報告した 3)。
その後、1949年 Simmonds は、腱板の血行障害によって生じた局所的壊死に対する異物反応が腱炎を引き起こし、肩峰下滑液包や関節包にまで炎症が波及して frozen shoulder を生ずると報告している 6, 11)。
1985年、Nicholson は frozen shoulder での上肢挙上の際、肩甲上腕関節の動きが減少していることから、拘縮の原因を関節包と腱板の変化に求めた 3)。
これらの腱板変性(もしくは関節包)を由来とする考え方(滑液包炎は二次性)は、現在においても主流となっている。関節内滑膜を病態の中心とする報告:
1944年、Hannafin は滑膜組織に多くの血管侵入が見られることにより滑膜炎が主病巣と考え、fibroplastic response(線維形成性反応)が関節包の過線維化・肥厚・拘縮を引き起こしたと考えた 3)。
現在においては、関節鏡の発達により容易に組織採取が可能となったが、滑膜炎の有無や病態については、意見の一致がみられていない(詳細は後述)。免疫反応説:
1973年、Macnab は棘上筋腱内のリンパ球浸潤所見から、腱板の血行障害が局所的腱細胞壊死を引き起こして腱炎となり、腱細胞の破壊が加わって免疫反応を起こし、腱板全体に炎症が波及して frozen shoulder となると、免疫の関与を示唆した 3, 4)。
この Macnab の免疫反応説に追随したのは Young(1982年)、Bulgen(1982年)が有名である 4)。
五十肩の免疫説が多少の賛同を得るのは、局所の炎症が全体に広がって、拘縮状態になる経過が速いことによる。その他の説:
(発生機序に神経が関与する説)
1958年、Steinbrocker らは発生機序を RSD の不全型であると述べ、1959年、Kopell は frozen shoulder の原因の一つに肩甲上神経の絞扼があると考えた 6)。
1983年、Travell は sympathetic vasomotor activity(交感神経性血管運動の活性)の影響で関節包組織に阻血を引き起こして線維化が発生することを推測している 6)。
(発生機序に血管変化が関与する説)
frozen shoulder は糖尿病では両側発症が多く、インスリン使用者に多いことが知られている。一般人口での発生頻度は2〜5%であるのに対し、糖尿病患者では10〜20%と有意に高いと言われている 6)。
1981年、Kay らは frozen shoulder の糖尿病患者の関節包を調べ、diabetic microangiopathy(糖尿病性微小血管障害)を示唆する血管変化を伴った、線維芽細胞、筋線維芽細胞の増殖からなる Dupuytren 拘縮と同様の線維化を観察している 2, 6)。
研究分野が細分化され複雑になってきているため、かえって全体像が解りづらくなってきたようにも思える。以下、国内・海外における1990年以降の報告を分野別に紹介する。病理・組織学的観点から:
(腱板変性の関与)
1949年 Simmonds の報告以来、数多くの報告がなされ、現在も主流となっている。変性の要因は、腱板の阻血や微小断裂などが言われている 3)。しかし、加齢変化は不可逆的なもので、誰にでも発生する生理的現象ですので、他の何らかの要因が病態に関与していると考えるのが妥当である。(線維化異常)
Meulengracht と Schwartz は、 Dupuytren 拘縮患者に frozen shoulder が一般よりも多いことを報告し、病理所見では滑膜に炎症所見がみられないことから、病態は炎症でなく、線維芽細胞の増殖にあると報告している 3)。
1995年に Bunker らは frozen shoulder において烏口上腕靭帯を含む腱板疎部の関節包を生検し、免疫染色により線維芽細胞増殖と筋線維芽細胞への変化がみられると報告している 7)。また、frozen shoulder は炎症反応や滑膜変化のない Dupuytren 拘縮に類似していると述べている 6)。
1997年に Rodeo は、frozen shoulder の組織像を検索し、frozen shoulder の関節包、滑膜から TGF-β、PDGF、HGF といった増殖性サイトカインが多いと報告している 3)。また、これらのサイトカインが関節包の線維芽細胞のレセプターを増加させ、線維化を促進していると推測している 3)。
1997年に熊谷らは、凍結肩に対し procollagen α1(I) の mRNA の局在を検索し、発症後数カ月を経ても mRNA が烏口上腕靭帯の近傍にあり、線維化が進行していることを示した 7)。
解説: mRNA(メッセンジャーRNA)は、遺伝子(DNA)の情報すなわち塩基配列情報を写し取り、細胞内のタンパク質が合成されるリボソームまでその情報を運ぶ。 運ばれた情報はリボソームでアミノ酸に変換されタンパク質が合成される。(神経変性の関与)
1997年に橋本、信原らは36の肩関節包と腋窩神経を光顕・電顕にて詳細に観察し、関節包浅層に痛みのインパルスを出す神経終末、関節包深層にパチニー小体の存在を証明した。また、腋窩神経小円筋分枝と関節包の下方部分(5時から7時の部分)に神経の変性像を高頻度に確認した。
病理像は、1)神経周膜の肥厚、2)神経線維の減少、3)神経内膜の粘液変性、4)Renaut 小体の存在があった。Renaut 小体は慢性圧迫部位に観察されることから、腋窩神経を含む関節包下方部分に無症候的な慢性圧迫や牽引力が作用している可能性を指摘している 6)。また、五十肩における二次的な拘縮による肩後方(四辺形間隙)の痛みとの関連も推察している 6)。
四辺形間隙とは、小円筋と上腕三頭筋長頭と上腕骨と大円筋で囲まれた部位をいい、腋窩神経がここを通過する。(血管の関与)
1994年に Pineda らは、上腕動脈経由で心臓カテーテル検査を行った患者に高率に五十肩が発生したと報告しており、カテーテル刺入がトリガーとなり局所的な dystrophic reflex(異栄養性反射)が起こったのではと推察している 6)。機能解剖学的観点から:
1995年に筒井は、腱板の機能低下により上腕骨頭を関節窩にしっかりと固定できず、また outer muscles(主に三角筋)の強収縮による imbalance により、初動作時に上腕骨骨頭が関節窩に対して上前方に偏位し、この繰り返しが腱板損傷・腱板炎や関節内組織損傷を生じ、疼痛などの症状が出現する原因の一つと推測した 19)。
1999年に Chen らは、腱板断裂のない正常肩でも筋疲労が生じることで腱板機能が低下し、断裂時同様に骨頭の上方化が生じると報告している 8)。生理学的観点から(脊髄反射による拘縮):
1995年に土肥は、ネコの肩関節を使用した生理学的実験を行い、関節包内に発痛物質であるブラジキニンを注入することにより棘上筋、棘下筋、肩甲下筋などの肩周囲筋の反射性筋攣縮が発生することを確認し、関節包の侵害受容器からインパルスにより肩周囲筋が収縮するという脊髄反射の存在を証明した 15)。この結果から五十肩の痛みと拘縮の要素として反射性攣縮を、初めて実験的に明らかにした。
1997年に村山は、この反射性攣縮が拘縮に至るまでの生理的メカニズムを以下のように説明している 16)。
(引用文)
「退行変性などなんらかの原因で関節包に炎症が起こると、脊髄反射によって棘上筋、棘下筋、肩甲下筋など周囲筋に筋収縮が引き起こされる。炎症が長期化した場合、筋収縮は持続的となる。交感神経系の活動も高まって筋肉内の微小血管も収縮し、筋は虚血に陥る。すると筋肉に乳酸が蓄積したり、カリウムが細胞外に流出する。また局所の pH が低下し、発痛物質のプラズマキニンが産生される。これらのため今度は筋肉自体の痛みが原因となり、新たな脊髄反射による筋収縮と交感神経活動の高まりを助長する。また交感神経節後線維から反射活動によって放出されるノルアドレナリンは痛覚受容器の感受性を高める作用がある。このようにして痛みの悪循環が成立する。この痛みの増悪により関節の運動が制限され、棘上筋、棘下筋、肩甲下筋のみならず関節包などの周囲組織の拘縮が生じる。」単純X線所見から:
1999年、高岸の報告 2)によると、一次性(特発性)肩関節拘縮(562肩)の44%に肩峰下骨棘形成が認められた。腱板断裂の場合、完全断裂例の83%、不全断裂例の64%に存在し、五十肩より有意に高いことが報告されている。
五十肩の肩峰骨頭間距離は正常範囲内であり 9)、超音波検査にても同様の報告がされている。肩関節造影所見から:
1999年、高岸の報告 2)によると、一次性(特発性)肩関節拘縮患者に造影剤注入を行った結果、10ml 以下であったのは全体の85%であった。しかし、外傷性拘縮肩や腱板不全断裂に伴う拘縮肩でも同様な所見を認めたとしている。超音波所見から:
1994年、黒川らは五十肩に対し超音波検査を行い、大部分の五十肩に大きな変化はないが、動的検査において、肩峰下滑液包と腱板の間の可動性が悪いと報告している 14)。
1998年、中村(柔道整復師)ら 23)は有痛性肩関節拘縮を有する患者18名に対し、棘上筋、肩甲下筋、三角筋の動的検査を行い、13症例(約72%)において他動的外旋運動早期(外旋0度〜25度)に三角筋が棘上筋、肩甲下筋に連動して動き、健側では連動しないことを報告している。これらの結果から、腱板と outer muscles との円滑な筋の動きが障害されていることを指摘している。関節内関節鏡所見から:
関節内癒着所見はないことが一致した見解である 2, 7, 11, 12)。また、腱板疎部では局所的な発赤、滑膜増生がみられ、関節腔上方・腋窩腔・肩峰下滑液包には滑膜増生がみられないことから、腱板疎部を中心とした関節包(靭帯・滑膜下層含む)の線維化が病巣の主体との見解で一致している 7, 11)。(滑膜の炎症所見なしとする報告)
前述したが、Neviaser(1945年)も剖検例の検討から、滑膜細胞の変化を伴わない関節包の肥厚と癒着が主病態であると述べられており 1, 6)、Lundberg(1969年)の組織学的観察では滑膜には炎症性細胞浸潤が認められないとしている 2, 6, 7)。
また、尾崎ら(1989年)の組織学的報告では、腱板の変性に伴った腱板疎部の病変があり、腱板疎部には炎症所見はないと記載されている 6, 10)。(滑膜炎が主体でなく反応性のものとする報告)
1994年に熊谷らは、慢性期で挙上90度以下の frozen shoulder 15例の手術例から滑膜を採取し検索した。滑膜は軽度の浮腫・血管増生・線維化があり、表層細胞の多層化はみられず、炎症性サイトカインIL-1αの同定ではマクロファージ系細胞に少数みられたのみで、T・B リンパ球はほとんどみられなかった。IL-1αは血管内皮細胞にみられたが、滑膜細胞・線維芽細胞にはみられなかった。
これらの所見は、腱板断裂にて観察される炎症細胞の浸潤、表層細胞の多層化とは明らかに異なり、五十肩における滑膜の変化は、炎症や増殖が主体ではなく、関節包や近傍の変化に対する反応であると推測している 7)。(滑膜の炎症所見が主体とする報告)
1999年に井手らは、3カ月以上の慢性期で非外傷性の特発性肩関節拘縮30例を対象に鏡視観察を行った結果、関節包の肥厚・瘢痕化の他に、全例に腱板疎部を中心とした滑膜炎が存在し、腱板関節面不全断裂は少なかった(約30%)と報告している 11)。他に長頭腱と腱板の癒着が17%、腱板不全断裂が11%存在した。30例中15例(50%)は、ある動作が契機として発症するといった軽微な外傷歴が存在することから、井手らは外傷説を支持している 11)。肩峰下滑液包関節鏡所見から:
一般に造影剤の肩峰下滑液包からの流出が指摘されている 1, 2)。
1998年の井手らの報告 12)では、肩峰下滑液包に滑膜炎を認め、肩峰下びらんと腱板滑液包面不全断裂(kissing lesion)が約30%に認められたとしている。MRI 所見から:
1995年 Emig らは、関節包・滑膜の肥厚を指摘し、関節液量は減少していないと報告している 2)。
1999年に高岸は、肩峰下滑液包の病変や棘上筋腱に軽度の高信号域を認めるが、中高齢者では臨床上正常と考えられるものも存在すると述べている 2)。 現在のところ MRI 所見からは特異的な所見はないと考えられている 2, 17)。
最近の肩関連の論文に、primary frozen shoulder という用語が頻繁に使用されている。また、肩関節拘縮を述べる論文に必ず登場するのは、primary(一次性・特発性)と secondary(二次性)という分類である。特に五十肩を「特発性肩関節拘縮・一次性肩関節拘縮」と記載するものをよく目にする。
そもそも、このような分類と認識がされるようになった理由は、以下に紹介する Zuckerman(1992)の分類が AAOS(アメリカ整形外科協会)で採択されたためといわれている 7)。現在ではこの分類が一般的になりつつある。Zuckerman は、frozen shoulder を primary (idiopathic) と secondary (known disorders) とに分類する方法を提唱した。primary frozen shoulder を、" a condition of uncertain etiology characterized by significant restriction of both active and passive shoulder motion that occurs in the absence of a known intrinsic shoulder disorder "
訳すと、「すでに知られている内因性肩関節障害を除外し、肩の動きが自・他動ともに有意な可動制限を特徴とした、原因が明らかでない状態(病態)」と定義している。primary(idiopathic)とは、"一次性の・特発性の" 、という意味。特発(とくはつ)とは、外部からの作用でなく、また原因が明らかでなく発生するという意味で、突発ではないことに注意。
secondary(known disorders)とは、" 二次性の" という意味で、すでに明らかになっている疾患をさしている。secondary frozen shoulder とは、烏口突起炎、上腕二頭筋長頭腱炎、外傷性拘縮肩、腱板断裂、腱板不全断裂、変性性腱板炎、肩峰下滑液包炎、石灰沈着性腱板炎、動揺性肩関節(不安定症)、インピンジメント症候群などの疾患をいう 7)。
しかし、primary frozen shoulder は上腕二頭筋長頭腱や肩峰下滑液包などの secondary frozen shoulder の病態を含まないわけではない。前述したように腱板、上腕二頭筋長頭腱、肩峰下滑液包、関節包、烏口肩峰靭帯、烏口上腕靭帯などの関節周辺組織が関与していると考えられている 3, 7)。(日本の狭義の五十肩とは)
最近、日本においては、primary frozen shoulder(一次性・特発性肩関節拘縮)が「狭義の五十肩」であると認識されており、secondary frozen shoulder が存在していても、中年以降に発症し、外傷歴がなく、疼痛と可動域制限があれば「広義の五十肩」として緩やかに捕えられている。
外傷歴については、ある動作を契機に痛みが出現するといった軽微な外傷が起因することも多いため、外傷歴有無の厳密な区分けは困難と思われる。また、可動域制限とは一体どのくらいの程度をいうのかも曖昧である。
1969年の Lundberg の臨床報告では、挙上135度以下を対象症例としているし、熊谷らは挙上110度を越すと回旋障害があっても後頭部に手が届き、不自由さをあまり感じないことから、110度以下を対象としている 7)。統一した見解を得るのは今だ困難であろう。(論文を読む際の注意)
五十肩に関する治療法や論述を読む際は、対象となっている疾患が、primary frozen shoulder(一次性)なのか、secondary(二次性)を含む primary frozen shoulder(一次性)なのか、もしくは secondary frozen shoulder(二次性)なのかを認識して読むことが必要ではと思われる。
「五十肩は軽快する」というのが一般的な理解である。その発端は1978年に JBJS に記載された Grey の報告が挙げられる。Grey は idiopathic frozen shoulder は悪くても2年以内に軽快すると報告している 2)。
一方、1992年 Shaffer らの62例(68肩)の idiopathic frozen shoulder を平均7年間経過観察し、主観及び客観的に評価した報告では、31例(50%)に軽度の疼痛と可動域制限のいずれか、もしくは両方を認めたと報告している 24)。しかし、この中で患者自らが機能的制限を訴えたのは7例(11%)のみであった。平均可動域は、屈曲161度、外転149度、外旋65度、内旋は第5胸椎棘突起レベルであり、外旋制限が最も大きかったと報告している 23)。
1993年、高岸らの五十肩患者へのアンケート調査の報告では、疼痛の残存は軽度の症例を含めて約20%存在し、高所のものを取る動作、結帯動作に困難との回答が得られたとしている。この症状残存例に MRI を行った結果、腱板部分断裂例を示唆する所見を得たことから、症状が持続する症例には再検査が必要と訴えている 2)。
1800年代から2000年までの約200年の間に報告されたものを簡単に分類すると、1)棘上筋腱を中心とする腱板と肩峰下滑液包であるもの、2)上腕二頭筋長頭腱周辺であるもの、3)関節包および関節滑膜であるもの、4)腱板疎部(滑膜・靭帯・関節包)を中心としたもの、5)その他(神経・血管・線維化異常など)に整理できる。過去に命名された病名は100を越えると言われている 5)。
五十肩、frozen shoulder の原因・病態はまだ十分には解明されていない。今後、正確な病態解明が進み、新たな病名が加わる事で定義上は「いわゆる五十肩」の病態が一つ減るという奇妙な事となっている。いずれ五十肩、frozen shoulder という病名は無くなるのであろう。
しかし、複雑な構造の中で、どの組織が初発病巣なのか、また病態が単一のものであるのかなど、解明されるには困難が予想される。個人により構造物の損傷・障害部位が変化することも否定できず、その損傷による反応もまちまちであろう。また、病態を論じるときはその症状経過のある時点を、しかも複雑な組織の集合体である肩の一部分を観察して、五十肩 frozen shoulder の原因の全てを説明するには無理があると思われる。
このように考えると、若者と腱板断裂頻度の高まる60歳代以降との間に生じる五十肩は、単なる加齢変化のみで処理するのは無理がある。なぜあるものには拘縮が生じて、あるものには良好な可動域が維持できるのか?また、退行変性の強いものがなぜ臨床的に軽快するのか?疑問は尽きない。今後21世紀に解明されることを望みたい。柔道整復師の方はすでにお気づきかと思うが、いまだ外傷説も根強く残っており、日常の診療の中において、何かの動作が起因となり発症するケースはかなり多い。 しかし、捻挫として安易に取り扱うことの危険性も同時にお察しいただけたと思う。 いずれにせよ、五十肩の研究は今も世界中で行われていることに留意しなければならない。我々柔道整復師も、臨床的・基礎的にこれらの医科学研究に参加し、原因究明の努力をすべきと考える。